このエントリーは、慶応大学SFCの小檜山教授による情報通信文化論の課題2: ケータイとは何か?のためのエントリーです。
携帯電話とは何か? 私はこう考える。
今日における人間にとっての帯電話は、人間とめがねの関係に近いのではないだろうか。
子供の頃からメガネをかける人間は少ない。本を読んだりTVを見たりして、視覚から様々な情報を得ているうちに視力が低下してメガネをかけるようになる。視覚からの情報を明確にするためにメガネをかけるのだ。
同じように、子供の頃から携帯電話を持っている人は少ない。子供は純粋な心でコミュニケーションをしている。そんな社会を意識する以前の子供は、携帯電話を必要としない。しかし、社会性や建前ということを知るうちに、コミュニケーションに対する信頼が薄れて行く。
「彼女は僕を好きだというが、それは本当だろうか? それは建前ではないだろうか。」
人間は、このような信頼性の低くなったコミュニケーションをより明確にするために携帯電話を持つのだ。見にくい文字を、メガネをかけて見れるようにするように。
携帯電話は誰もが持っているもの、という前提でこの議論をしている人が多い。しかし、視力が良い人がメガネをかけないように、人格によっては携帯電話を持たない人もいることを忘れてはいけない。
携帯電話とはメガネだ。そして、それはメガネのように人間の能力を補助するための道具だと思う。










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