このエントリーは、慶応大学SFCの小檜山教授による情報通信文化論の課題6: インターネットとは何か?のためのエントリーです。
今回の課題は、誰かを参照せよということだが、まず私は
この課題の漫画に大きくインスピレーションを受けた。
この熊坂先生はとてもすばらしい。
そこで、私は尊敬する村井先生を書いてみることにした。

村井先生は、インターネット概論の授業で、「成田の空港から東京まで1分間インターネットが通じなかったら死ぬ、つまり息ができなくなる、と思ってプロジェクトを進めた。」と語っておられた。
この考え方は、デザインコンセプトとして凄く面白いと思う。逆に考えれば、ソフト・クライアント側は1分間くらいなら通じなくてもいいようにしてデザインすること考えていけば良いわけだ。
にも似たようなことが書かれている。そして、「人々はそれがないと生きていけないのである。」と書いている。
しかし、ちょっとこれでは説明不足なきがする。インターネットは既に人間にだけではなく、コンピューターにとっても必要不可欠なものになってきているからだ。
ここで言うコンピューターとは、人間に操作されるPCのようなものでなく、環境に埋め込まれたコンピューターである。
たとえば、酸素不足の部屋があったとしても、そこに人間がいたら息ができないがコンピューターは大丈夫だ。
しかし、インターネットが通じない部屋は人間だけでなく、コンピューターにとっても何もできなくなる。
物理世界においては"エーテル"が万物の媒介となっている、という説があるが、インターネットとは情報世界におけるエーテルなのかもしれない。
と、ここまで書いて、EtherNetの語源がエーテルだということを思い出す。
Ethernetの誕生が30年前(1973)のXEROX PRAC。やっぱ凄いな。
Mark WiserがUbiquitous Computingを提唱するのが、それから15年後の1988年。
意外に、Ethernet作った人はユビキタスのことを考えていたのではないかな、とちょっと思った。EtherもUbiquitousも意味は同じだし。いずれにしろ、PARCからこれらの技術と概念が誕生することは自然な流れだったのだな、と。










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