
昔サッカーをやっていた時と、今コラボレーションとモノづくりを学んでいる時で共通して感じることを5点。
・アイデアを作れる人とそうでない人がいる。しかしアイデアを作れる人間だけいても駄目。アイデアだけの人間はもっと駄目。
・基礎的な技術が無いとアイデアは生かせない。毎日基礎練習することが大切。
・攻めの失敗は恐れてはいけない。パスは通らないとパスじゃないが、通らなかったパスもメッセージにはなる。下手な絵でも書かなかったら伝わらない。
・声を出さないと駄目。密なコミュニケーションが大事。でも応える声が大事。一人がワーワー言ってても駄目。
・試合と練習は別物。試合に出て初めて経験。作品発表して初めて経験。
サッカーとモノづくりは同じ。
基礎的なスキルを備えた11人が協力し、アイデアを散りばめてゴールを目指し、ゴールを守る。
90分間で自分達にしかできない表現するものだ。
そして、サッカーもモノづくりもどちらも社会が求める価値を創造する。
オフトが基礎的な技術を日本に伝えて加茂・トルシエが守備的な戦術を浸透させるまでは、言ってみれば正確な金型を作れて、保守可能な工場の生産ラインを作れるようになった20世紀のモノづくりと同じだ。
しかし、大量生産・消費が付加価値を生まないのと同じように、そんなサッカーはもう面白くない。
モノづくりが常に創造性と切り離せないことが見直されたのとほぼ同じ時期、2002年日本サッカーはジーコに託された。すぐに結果は出なかったけども、これは創造的サッカーを目指す日本サッカーの向こう50年を見据えた「礎」なのだと思いたい。
そして、2006年。もう一つ重要な共通点が見つかったように思える。それは、「オリジナリティの大切さ」。「自分らしさ」は「創造性」と切り離せない。モノづくりでもサッカーでも、哲学というか自分らしさを追い求める姿勢はとても大切だ。それは、表象的なブランドではなくて本質的な「強み」である必要がある。
僕は近年のサッカーは戦術的なオリジナリティよりも寧ろ、体格や身体的な動きのオリジナリティに魅力に感じる。アルゼンチンとブラジルの選手は同じ南米でも、走り方やボールの蹴り方が微妙に違うのは明らかだし、フランス人とイギリス人は同じ民族のようにみえるが移民の状況などでメンバーの体系が微妙に違う。アフリカ選手のバネのあるキックは、ボールの弾道を見るだけでゾクゾクする。
ジーコは体格の違いと言ったけども、体格の違いこそがオリジナリティだと思うのだ。
多くの外国人記者に「日本の特徴は?」と聞くと「アジリティ(俊敏性)」と返ってくるらしい。
それを聞いた時に思い浮かぶのは、全盛期のカズがセンタリングをあげるためにライン際で見せた跨ぎの足技。あれが今のワールドカップで通用するかどうかは別として、そこにはブラジルで生き残るために死に物狂いで見つけた自分らしさがあり、それに僕らは魅了された。
今、僕らはそれに学ぶものがあるのかもしれないな、と思うのである。
もう一つ言うと、ジーコの体格不利説に対してオシムはこんなことを言ってたらしい。
「ヨーロッパの人種も思っているほど狩猟民族ではない。それに、日本人にも独特の強みがある。例えば日本にはヨーロッパには無い地震があって、その時の対処法を知っている。」
相当、知性に富んでいるという噂のオシムに期待したい。
オリジナリティとアイデアに溢れるサッカーとモノづくりを自慢できる日本になりますように。










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